【夜月物語】第陸話 「優しい神様」
その日の夜、私は興奮してなかなか寝付くことができなかった。
こんなに生活が一変するなんてこと、あるんだろうか。あのじめじめした倉庫の、硬い土の上で寝ていたのに、今は柔らかい布団の中にいる。
今日初めて、冷たい水じゃなくて暖かいお湯で体を洗うことができた。私の毛って、こんなにふわふわだったんだ、と、体を丸めて尻尾を抱きしめた。
ご飯だっていつもは冷たくて、少なかった。「ゴースト」になってからは、夜中に盗んだ野菜と、川で捕った魚を生で食べてた。それなのにさっき食べた夕飯は、いっぱいのご飯と、あったかいお味噌汁、それにあんなに大きなお魚まで!おいしかったなあ。誰かと一緒に、お腹いっぱいまで食べられる食事なんて、夢だと思ってた。まるで手を伸ばしても届くはずのなかった空の星々が、急にいっぱい落っこちてきて、私の中に入ってくるみたい。星が入るたびに、私の胸の中はあったかくなって、私の周りはきらきらと輝きだして…ちょっとまだ目が慣れてないからチカチカする。なんだか…泣いちゃいそう。
私は、部屋の奥の方で椅子に座り、月明かりに照らされているリハクさんを見る。
おじさんは、神様なんだろうか?あの倉庫の中で死んだように暮らしていた私に、普通の妖怪として生きる道をくれた。私の呪いを、そんなものはないと言い切ってくれた。私はおじさんに出会って初めて、この世界に「生まれる」ことができたんだ。
なんて考えてたら、リハクさんはこっちを振り返った。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもない。」
「そうですか、明日にはこの宿を出て歩きますので、今日はもう寝てください。」
「うん、わかった。…ねえ、リハクさん。」
「何ですか?」
「私を救ってくれて、ありがとう。」
タマモの目から流れた涙は、頬を伝い枕に落ちていた。その様子は…私に昔のことを思い出させた。
私は立ち上がり、タマモのそばに歩み寄った。そして手で、彼女の頭を優しく撫でた。
「私は、当然のことをしただけです。それに、もちろんタダというわけではありませんよ?私の仕事、手伝っていただきますからね?」
少し冗談めかしてそういうと、タマモはふふふと笑った。
「さて、もう寝てください。私は少し作業がありますので、もう少ししてから寝るとします。」
「うん、おやすみなさい。」
「はい、おやすみなさい。」
こうやっておやすみを言うのも初めて、とタマモはつぶやき、目を閉じた。
頬に残った涙の跡が、月明かりに照らされていた。